社長BLOG
「デジタル教科書はいらない」なんて言っている人はいらない
- 2010-11-09 (火)
- 社長BLOG
デジタル教科書はいらない なんてバカな議論をしている人がいる。
本のタイトルだから、煽るんだとおもうけど、こんなタイトルを作者が認めることじたいがカッコ悪い。手で書くことが必要だとか。難しいものにチャレンジする心が必要だとか、全くもう。
※この本は、まだ読んでません。ひょっとしたら本文には「それでも進化させていかなければならない」なんて、いいこと書いてあるかも知れない。
それは、あなたが子供の頃に勉強をした成功体験を語っているに過ぎない。
自分だって科学を愛する者の端くれとして、
「手を動かしながら学習することの、記憶や思考に対する効果」
というのはある程度理解している。で、あるならば、はなから駄目というのは待って、手を動かしながら学習できるように、デジタル教科書を進化させればいいではないか?
たとえば、鉛筆がいつ日本に入ってきたかは分からないが、
「鉛筆はいかん、筆で書かないと知識として身につかないんだ」というような押し問答が昔はあっただろう。
それでもわれわれは鉛筆を受け入れている。
※シャーペンは駄目だ、ボールペンは駄目だとかわけわからない分類はまだあるけどね。
いま、デジタル教科書はいらないなんていっている人は、10年たったら、鉛筆はいらないと言っていた恥ずかしい人たちになっちゃうよ。
こんなタイトルの本が国会図書館に保管され、永久に保存されるんだ。
しかもこの図書館もいずれ”デジタル化”されて、絶版されても永久に情報として閲覧できる状態になるんだ。恥ずかしいね。
反論1 数学、物理の教科書
数学や物理は3次元空間、時系列も含んだ4次元時空を扱う課題が多い。
これを静止した2次元の紙で理解することは無駄が多すぎる。
t=1の時の波はこれ、t=2の時の波はこれ。
この空間を正面からみるとこれ、上から見るとこれ。
これはデジタル化しかない。時間をコントロールできる再生ボタンが付いていて、さらに3次元を操作できるように、グリグリ指で操作できる方がいい。
反論2 ランドセルが軽くなる
重すぎるランドセルは虐待だろう。成長にも悪い。
現代を生きて行くために必要な情報は、昔のようにランドセルに時間割で詰め込めば済むような量ではない。小学生が、図書館一件分を持ち歩くようなスケールで情報を扱う必要がある。